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東京高等裁判所 昭和34年(う)2845号 判決 1960年6月16日

被告人 榎本道夫

主文

本件控訴を棄却する。

理由

(弁護人らの)控訴趣意第一点について、

所論は原判決は道路交通取締法第二十四条第一項同法施行令第六十七条の解釈適用を誤つた違法がある。即ち前記法条にいう「物の損壊」とは「道路における危険防止その他交通の安全を図るための措置を講ずる必要ある程度の物の損壊」を意味するものであり、右法条違反罪の成立ありというためには「人の殺傷」又は右のような程度の「物の損壊」を認識していたことが必要である。しかるに被告人は判示現場において、自己の自動三輪車を停車中の自動車に接触させたとの認識を有したのみで、右のような「人の殺傷」又は「物の損壊」の認識を欠如していたものであるから、同条違反罪は犯意を欠き成立しないものであると主張する。

しかし、道路交通取締法は道路における危険防止およびその他の交通の安全を図ることを目的とする行政的取締法規であるから、これに違反する行為は行為者の主観に捉われることなく専ら客観的にこれを取り締る必要があり、この意味において、同法違反罪の成否を論ずるに当つては、その行為者が当該違反行為について故意ないし認識を有していた場合のみならず、過失によりこれを認識しなかつた場合もまた同法に違反したとの刑責を問擬すべき場合があると解せられるのであるが、この点に関する論議は暫く措き、本件について記録を検討すると、原判決挙示の証拠によれば、被告人は原判示のように居睡り運転をしながら判示現場にさしかかつたとき、被害者等の姿も全然気づかず、これと衝突した瞬間そのシヨツクにより我に返り、何か事故を起したことに気づいたが、そのまま運転を続け、現場より約五十米先で、平素通行しない脇道に車を乗り入れ、そこで一旦停車して車体を点検しているのであつて、その間の状況につき、被告人は司法警察員の取調の際は、「ゴツン」という音がしたので目が醒め同乗していた小牧に「変な音がしたね」と言つて、何かにぶつかつたのかも知れないと思い、脇道に入つたと述べ、司法警察員の実況見分の際の立会人としては、「ゴツン」という音に目がさめ、自動車か自転車のようなものにぶつかつたと思つたが、逃げなければならぬと思い左の脇道に入つた後車を停めた旨述べているのである。しかるに原審公判及び当公廷においては被告人は「ガシヤン」と云う音がした、または「ガチヤン」と言う音がした、その音はその時チラツと横にいるのを見た乗用車の右角あたりにぶつけたものと思つた。その音は自動車以外のものまたは自動車の傍にいた人にぶつかつた音とは思わなかつたと述べているが、前示のように当時被告人はいねむり運転をしていたのであつて、衝突のシヨツクにより覚醒したのであるから、衝突の際の瞬間的な物音について右のような適確な聞き分けができたかどうかは頗る疑わしく、被告人の前記司法警察員に対する各供述と対照しても、被告人の右供述内容は信憑性に乏しいものといわなければならない。なお被告人は事故当時の時速は三五粁であつたと述べているが、実況見分調書より推測される被害者のいた地点とはねとばされた地点との関係、並びに本件事故の目撃者である荒木貞利の司法警察員に対する供述と対比するも被告人の供述は到底真実とは認められない。これを要するに、被告人の前記司法警察員に対する供述その他本件記録に顕われた本件事故発生前後における諸般の情況に徴するときは、被告人は判示事故の衝撃により我に返り、道路交通取締法第二十四条第一項同法施行令第六十七条にいわゆる人の殺傷または物の損壊を伴う事故の起つたことを認識したにも拘わらず、被害者の救護その他必要な措置を講じなかつたものと認められるのであるから、原判決の判示並びに法令の適用は正当であり、論旨は理由がない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判官 坂井改造 山本長次 荒川省三)

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